作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんは、25歳の時に捨てた娘が一人います。
当時3歳の娘を捨てた理由は、瀬戸内寂聴さんが不倫相手を選んだからです。
しかも、その後も不倫をして計3度の不倫をしていました。
瀬戸内寂聴さんは「子どもを捨てて後悔した」と著者や講演の場でも度々発言していますが、娘さんからは関係を拒絶された時期もありました。
瀬戸内寂聴さんの娘さんは「現在どうしているのか?」「二人は和解できたのか?」気になりますね。
結論から言うと、瀬戸内寂聴さんと娘さんは和解ができて、2012年にはひ孫にも会うことができています。
瀬戸内寂聴の娘は現在アメリカ在住で孫とひ孫もいる
瀬戸内寂聴が娘を捨てた理由は不倫相手に走ったから
瀬戸内寂聴の3度の不倫がゲスすぎる
瀬戸内寂聴の娘は現在アメリカ在住で孫もいる!
【瀬戸内寂聴の娘の現在】
結婚してアメリカ在住
娘には子供と孫がいる(=瀬戸内寂聴の孫とひ孫がいる)
瀬戸内寂聴さんの娘さんは、現在77歳でアメリカに住んでいます。
娘さんは結婚して家庭も築いており、瀬戸内寂聴さんにとっての孫とひ孫もいます。
瀬戸内寂聴さんは、2012年に「娘、孫、ひ孫に会った」と話していました。
昨年、孫とひ孫と一緒に娘がアメリカから帰国。「ひ孫が帰り際に『ばーば、バイバイ』と言ってくれました」
引用元:毎日新聞(2013年6月インタビュー)
瀬戸内寂聴さんは、生前には娘さんと和解済みでしたが、娘さんに結婚祝いを贈っても拒絶されるなど、絶縁状態の時期もありました。
瀬戸内寂聴さんの莫大な遺産相続はどうなるのか?遺産額はいくらなのか?も気になりますよね。
こちらでまとめていますのでご覧ください。

瀬戸内寂聴が娘を捨てた理由
瀬戸内寂聴は北京に移住できることが条件で、夫/酒井悌とお見合い結婚をした
夫の教え子である年下の男性との不倫に走り3歳の娘を捨てた
瀬戸内寂聴さんは1943年・20歳のときにお見合い結婚をしました。
相手は酒井悌(さかいやすし)さんで、中国古代音楽史が専門の外務省留学生→国立北京師範大学の講師、研究者となった有能な方です。
5000RT:【訃報】小説家・僧侶の瀬戸内寂聴さんが死去 99歳https://t.co/M8q0fmq5cd
1956年に「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞し、長く雑誌や新聞などに恋愛、伝奇小説を連載。73年に天台宗で得度し法名を寂聴に。06年には文化勲章を受章した。 pic.twitter.com/QSjsZBDIyV
— ライブドアニュース (@livedoornews) November 11, 2021
条件付きでお見合い結婚
瀬戸内寂聴さんが退屈な大学生活に飽きていた頃のことです。
結婚することで中国の北京に嫁げるという魅力もあり、20歳の時に酒井悌さんとお見合い結婚をしました。
北京で娘を出産
結婚して中国北京に移住した後、1944年に娘を出産します。
1945年に終戦を迎えた頃、瀬戸内寂聴さんは「夫婦間に会話がない」ことに気づきました。
会話が無いことで心が寂しかったでしょうね。
瀬戸内寂聴さんは、夫婦間の会話は大事だとも話していました。
夫婦間ではおしゃべりこそが金だと思うべきです。
1948年 娘と旦那を捨てる
終戦の翌年1946年に瀬戸内寂聴さん一家は日本へ強制送還され(参照)、徳島県徳島市で生活を始めます。
この徳島で、瀬戸内寂聴さんは夫の教え子と不倫関係になってしまいます。
学生時代は恋愛をしたことが無い瀬戸内寂聴さんにとっては、これが初恋でした。
不倫関係に激怒した夫に連れられて一家で東京へ引っ越しましたが、引き離されたことで瀬戸内寂聴さんの想いは募ります。
気持ちを抑えられない瀬戸内寂聴さんは、1948年、当時3歳だった娘と旦那を置いて家を出てしまいました。
「娘を連れて行っては金銭的理由から生活できない」という考えもあったようですが、実の子供よりも初恋(不倫)を優先してしまったのですね。
当時も本当は連れて行きたかったけれど、女が一人で食べさせることはあの時代にできなかった。父親のもとにおいておけば、娘が食うに困ることはないと考えてのことだったけど、いまでも後悔は尽きない
引用元:AERAdot
出家後に娘と和解
瀬戸内寂聴さんが出て行った後、夫は娘に「お母さんは死んだ」と伝えていました。
しかし、家を出た数年後に瀬戸内寂聴さんが娘の顔を見に行った際、母親だと名乗らなくても娘は「お母さんが来た」とわかっていたそうです。
胸が苦しくなるようなエピソードですね。
瀬戸内寂聴さんが作家として成功してからのこと。
結婚したことを聞いて瀬戸内寂聴さんが嫁入り道具一式を娘へ贈りましたが、送り返されてしまいました。
拒絶された過去もありましたが、1973年、瀬戸内寂聴さんが51歳の時に和解をしています。
娘さんに子供が生まれ、瀬戸内寂聴さんに孫の顔を見せるためだったそうです。
娘さんはアメリカで家庭を築いていて、子供、孫(瀬戸内寂聴の孫とひ孫)まで生まれています。
2012年には、瀬戸内寂聴さんは「孫、ひ孫をアメリカへ見送った」と話していましたので、和解後は良好な関係を築けていたようですね。
昨年、孫とひ孫と一緒に娘がアメリカから帰国。「ひ孫が帰り際に『ばーば、バイバイ』と言ってくれました」
引用元:毎日新聞(2013年6月インタビュー)
瀬戸内寂聴の3度の不倫
1回目 夫の教え子と不倫
2回目 小説家の小田仁二郎さんと不倫→元夫の教え子も加わり三角関係
3回目 小説家の井上光晴さんと不倫
瀬戸内寂聴さんは、人生で3度も不倫をしています。
その不倫体質を断ち切るために、1973年に岩手県の中尊寺で仏門に入り出家しました。
1度目の不倫 夫の教え子
1946年、瀬戸内寂聴さんが25歳、夫は34歳の時。
夫の教え子である21歳の青年と恋に落ち、不倫関係になりました。
夫と娘を置いて不倫相手の元へ行った後は、瀬戸内寂聴さんが重すぎて破局に終わっています。
2度目の不倫 小説家の小田仁二郎 → 三角関係
1952年、瀬戸内寂聴さんが30歳の時。
瀬戸内寂聴さんは正式離婚した後ですが、妻子持ちの小説家/小田仁二郎さんと不倫関係になりました。
執筆活動で一緒になるうちに不倫関係になってしまったそうです。
さらには、元夫の教え子とも不倫関係になり、三角関係にまでなりました。
3度目の不倫 小説家の井上光晴
1966年、瀬戸内寂聴さんが44歳の時。
妻子持ちの小説家/井上光晴さんと不倫関係になりました。
井上さんの娘・井上荒野(いのうえあれの)さんは小説家で、当時の父と瀬戸内寂聴さんの不倫を題材にした小説「あちらにいる鬼」を執筆しています。
執筆にあたり、井上荒野さんは瀬戸内寂聴さんに会って直接取材もしたそうです。
凄いストーリーですね。
深い。
2人の女性の生きていくための方法。
根源的な孤独を抱えた男性。2019年の記事
作家・井上光晴とその妻、そして瀬戸内寂聴…長い三角関係の心の綾
井上荒野さん「あちらにいる鬼」 https://t.co/qvKLd8XKuQ— 堀 成美 (@narumita) November 11, 2021
最後に
『瀬戸内寂聴の娘は現在アメリカ在住で孫もいる!捨てた理由に3度の不倫も』と題してご紹介しました。
- 瀬戸内寂聴の娘は、結婚して子どもと孫がいる(=瀬戸内寂聴の孫とひ孫がいる)
- 瀬戸内寂聴の娘は現在アメリカ在住
- 瀬戸内寂聴は結婚して5年後に不倫にはしり、3歳の娘を置いて出て行った
- 娘と和解済み
最後までお読みいただきありがとうございました。
