冨田せなさんは、妹のるきさんと一緒に、北京オリンピック日本代表に選ばれました。
姉妹でオリンピック出場となると「父親や母親がどのような人なのか?」「何歳からスノボを始めたのか?」気になりますよね。
スノボが上達した背景には、愛知県から新潟県へ一家移住したことも関係ありそうです。
スノーボードが生活の中心となっていることがわかる家族エピソードもご紹介します。
冨田せなの父親・達也もスノーボーダーで元選手?職業は?
冨田せなの母親・美里の職業は?
冨田せな一家のスノボエピソード(移住・教育・サポート)
冨田せなの父達也もボーダーで両親の職業は?
父親・達也:スノーボードは趣味、職業非公開
母親・美里:職業非公開
冨田せなさんの父親も母親も一般人のため、詳しいプロフィールや職業は公開されていません。
仕事の前後に冨田姉妹をスキー場へ送迎や、ナイターで一緒に滑ることもしているので、勤務先は新潟県内のようですね。
【FNNプライムオンライン】
北京五輪代表 スノボ・ #冨田せな がXゲームズ初優勝! #平野歩夢 ・ #平野海祝 も表彰台に【#新潟】#NST #Newsタッチhttps://t.co/JPDJ93ieYw— NST News タッチ (@NST_News_TOUCH) January 24, 2022
冨田姉妹は父の影響で3歳からスノボを始めた
富田せなさんがスノーボードを始めたのは3歳からで、親・達也さんの影響でした。
-3歳からスノーボードを始めたとのことですが、その頃のことは覚えていますか?
せな:覚えていません(笑)。お父さんの趣味がスノーボードで、3歳から始めていたので……。物心ついたときにはすでにスノーボードを履いて、雪山にいました。
引用元:新潟スノーファンクラブ
2歳違いの妹・冨田るきさんも3歳からスノーボードを始めています。
昔スノーボード仲間の冨田くんの娘冨田姉妹がスノーボードで快挙達成!
20代の頃、新潟の妙高高原でリゾバイで知り合った冨田くん。
そんな彼の娘姉妹がアメリカで行われたスノーボードハーブパイプのワールドカップで姉の「#冨田せな」ちゃんが世界3位!
優勝したのは妹の「#冨田るき」ちゃん! pic.twitter.com/tKG6WJW8Ca— ジュンクンのツボ (@junkun_no_tubo) January 10, 2022
両親は仕事の合間にサポート
小学生の頃から、冨田せなさんは妹のるきさんと一緒に毎日滑っていました。
休日はもちろんのこと、冬の学校終わりには家族4人、または父親と姉妹3人でナイターで滑っていました。
いつも親が一緒だったのではありません。
親が仕事の時は、冨田姉妹に昼食を持たせてスキー場へ送り、仕事後に迎えに来ることもしていたのだそう。
ゲレンデのスタッフさんや、ライダーさん(メーカーやショップがスポンサーについているスノーボーダー)たちと顔見知りなので、安心して滑ることができる環境があったそうです。
お父さんとお母さんが仕事の時は、スキー場まで送ってもらって、仕事が終わったら迎えに来てもらって。ゲレンデのスタッフさんも顔見知りなので、私達だけの時は一緒に滑ってくれたりしました。
引用元:新潟スノーファンクラブ
幼少期は他の遊びにも興味を持ちそうですが、ずっとスノボを続けることができたのはなぜでしょうか?
冨田せながスノボを好きで続けられた理由
冨田せなさんがオリンピック日本代表になるまで、スノーボードをずっと好きでいられたのは、両親の理解があったからです。
- スノーボードを無理強いしなかった
- 興味持つものは経験させてくれた
- 意思を尊重してくれた
- ケガも覚悟で送り出してくれた
- 試合後に届く父と母からのメールが励みになった
冨田せなさんの両親はスノボを無理強いしませんでした。
スノーボード以外にも、水泳や器械体操など、子供が興味持ったものは経験させていたそうです。
それでも、冨田せなさんが最後まで続けることができたのは、スノーボードだけでした。
両親は冨田せなさん姉妹の意思を尊重すると共に、ケガすることも覚悟しているそう。
「心配だが、危険なスポーツであることは分かっているし、けがは覚悟して送り出している。本人たちのやりたいという意思を尊重しています」と、母の美里。
両親は、娘たちの海外遠征の際は成田国際空港(千葉県)まで見送りに行く。仕事などが重なってもどちらかが必ず都合を付けて行くという。「(何が起きても)悔いが残らないように」と、その心境を明かす。
引用元:Standard新潟
親としては心配もあると思いますが、アスリートの親として立派な覚悟を持っているのですね。
冨田せなは愛知から一家移住!スノボ愛がすごい
愛知出身の両親はスノーボードのために新潟県へ移住
冨田せなさんの両親は愛知県出身です。
新潟県への移住理由はスノーボードのため。
仕事も新潟県で就職しました。
両親は今も、休日はスノーボードを楽しんでいるそうです。
二人の両親は共に愛知県の出身で、スノーボードに魅了されて新潟の地に就を求めた。今も仕事をしながら、休日になると滑っている。
引用元:Standard新潟
親子で一緒の楽しみができるのは素敵ですね。
最後に
【冨田せなの父達也もボーダーで両親の職業は?愛知から一家移住のスノボ愛がすごい】と題してご紹介しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
モーグルの川村あんり選手は、スキーをするために二重生活をしていました。
小野光希選手は、毎週末新潟へ通っていたそうです。