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柴原瑛菜はハーフで日本語苦手?両親と兄もテニス経験者で職業は?

プロテニス選手の柴原瑛菜(しばはらえな)選手は、ハーフではありません。

両親ともに日本人なので日本語も話しますが、アメリカで生まれ育ったため日本語の敬語が苦手です。

 

柴原瑛菜選手は7歳からテニスを始めていますが、両親や兄も一緒にテニスをしていたのがきっかけです。

父や二人の兄はコーチ、トレーナーとして柴原瑛菜選手を支えています。

 

この記事でわかること

柴原瑛菜はハーフではない!両親は日本人

柴原瑛菜はアメリカ育ちで日本語苦手

柴原瑛菜の両親と兄もテニスプレーヤー

柴原瑛菜はハーフで日本語苦手?

ハーフではない

アメリカ・カリフォルニアで生まれ育った

柴原瑛菜選手のはっきりとした顔立ちと英語発音の良さで「ハーフ?」と思ってしまう人もいるようですね。

両親は日本人なので、柴原瑛菜選手はハーフではありません。

アメリカ・カリフォルニアで生まれ、大学までアメリカ在住だったので英語は完璧です。

 

柴原瑛菜はアメリカ育ち

柴原瑛菜さんは駐在員の家族としてアメリカで生まれました。

父親は以前、日本企業に勤務するアメリカ駐在員でしたが、柴原瑛菜さんが2歳の時に会社を辞めます。

柴原一家はその後もアメリカに残りロサンゼルスに家を構えたため、柴原瑛菜さんは大学までアメリカで育ちました。

 

柴原瑛菜は日本語の敬語が苦手

アメリカで育った柴原瑛菜選手は、日本語を両親との会話から学んでいます。

家庭内では日本語で話すルールがあったためです。

それでも日本語を話すことには自信が無かったそう。

敬語はさらに苦手なので、ダブルスのペアを組んだ青山修子選手と会話する際は緊張していたと話していました。

アオさんと組み始めた頃、私は日本語にあまり自信がなくて、そこまでうまく話せなかったんです。

でもアオさんは年上なので、敬語を使わなければならないのかなと緊張していたんですけど、「敬語は心配しなくていいよ」と言ってくれて。私のつたない日本語でも理解しようとしてくれたので、すごく安心しながら練習できました。

引用元:asahi.com

 

日本国籍取得は祖父母の影響

柴原瑛菜選手はアメリカで生まれ育ち22歳まで二重国籍でしたが、22歳のときに日本国籍を取得しました。

日本国籍を取得した理由に、祖父母の存在と東京オリンピックが関係しています。

「日本人」として東京オリンピックでプレーする姿を祖父母に見せたかったのだそうです。

「祖父母に、東京オリンピックで日本人としてプレーする姿を見せられることができれば……」

祖父母に、東京で晴れ姿を見せたい――。それが最大の夢なのだと、彼女はまっすぐに言った。

引用元:web Sportiva

 




 

柴原瑛菜の両親と兄もテニス経験者で職業は?

家族でテニスを始めてハマった

父はテニスコーチ

兄はテニスコーチ、トレーナー

柴原瑛菜選手は7歳からテニスを始めています。

住んでいたロサンゼルスの街にはテニスコートが点在していたため始めやすく、家族でテニスの楽しさにハマったそうです。

家族の趣味で始めたテニスですが、今ではテニスが柴原家に欠かせないものになりました。

柴原瑛菜選手の2人の兄はプロテニス選手ではありませんが、2人ともテニスのコーチまたはトレーナーとして活躍しています。

 

柴原瑛菜の両親

父親も母親も一緒にテニスをしています。

父親は柴原瑛菜選手が16歳のときにテニスコーチもしていました。

 

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柴原瑛菜の兄は2人

柴原瑛菜選手には2人の兄がいます。

右側が長男の瑞希(みずき)さん、真ん中が次男の鷲平(しゅうへい)さんです。

 

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一番目の兄・瑞希(みずき)さんは現在、プロのテニスコーチです。

柴原瑛菜選手のフィジカルトレーナーも務めていて「妹を世界一までサポートするのが夢」だそうです。<参照:mtx academy

NASM-CPTというアメリカのパーソナルトレーナー資格、USPTAというアメリカプロテニス協会公認コーチの資格も保有しているので、柴原瑛菜選手も心強いでしょうね。

 

2番目の兄・鷲平さんも現在、テニスコーチです。

大学までテニス選手として活躍されていました。

現在は、柴原瑛菜選手を支えるコーチをしています。

 

柴原瑛菜のテニス環境

柴原瑛菜選手は最高の環境でテニスを続けてきました。

テニスを始めて1年ほど、柴原瑛菜選手が8歳のときに全米協会の強化指定選手に選ばれます。

13歳まではキンバリー・ポー元プロテニス選手に師事。

18歳のときには、全米オープンジュニア女子ダブルスで優勝し、スポーツ奨学生として、テニス名門のカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に進学します。

UCLAのテニス部監督は、憧れのピート・サンプラス選手の姉であるステラ・サンプラスでした。

UCLA在学中にはNCAAシングルスランキングで優勝しています。

 

全豪オープン、 全英オープン、ツアーファイナルなど世界大会でベスト4の実績がありますが、さらに上に進んで行きそうで楽しみですね。

 




 

最後に

【柴原瑛菜はハーフで日本語苦手?両親と兄もテニス経験者で職業は?】と題してご紹介しました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。