川崎フロンターレ所属で東京オリンピックサッカーU-24代表の、旗手怜央(はたてれお)選手の活躍がすごいですね!
旗手玲央選手はサッカーで能力を開花させましたが、父親は元PL学園の名選手・旗手浩二さんでした。
野球ではなくサッカーの道に進んだ理由も気になります。
この記事では、旗手怜央選手の父親と教育論、家族について調査しました。
▼この記事でわかること▼
旗手怜央の父親は超有名球児
旗手怜央の家族構成(父・母・姉)
旗手怜央が野球に進まなかった理由
旗手怜央の父親はPLの超有名球児で教育論もすごい!
旗手選手の父親は、野球界では超有名!元高校球児の旗手浩二(はたてこうじ)さんです。
旗手浩二さんはPL学園でプレーし、「KKコンビ」の1学年先輩。1983年に甲子園優勝、1984年には春夏連続準優勝をしています。
野球界では有名な球児でしたが、旗手怜央選手が父親の偉業を知ったのは高校生の時でした。
高校のサッカー大会で取材者から「お父さんはあのPLの旗手」と言われたことから知ったそうです。
東京オリンピックに出場する川崎フロンターレの旗手怜央。お父さんはPL学園→社会人の本田技研鈴鹿(ホンダ鈴鹿)で活躍した元野球選手です
〝親子鷹〟サッカー代表の旗手 野球選手だった父の教育論とは | 毎日新聞 https://t.co/eUgpxPshK9
— 毎日新聞サッカー取材班 (@mainichi_futbol) July 18, 2021
父親と比べられた苦悩も
高校時代、旗手怜央選手がサッカーで活躍をしても「PLの旗手の息子」と記事に書かれたことが悔しかったと話しています。
「父を超えるためには全国優勝」という想いを秘めて努力し、高校3年生のときには「背番号10」を付けてエースとして活躍しました。
旗手は複雑だった。
「最初に“PLの旗手の息子”と(記事に)書かれてから、ずっとそう書かれていたので悔しくて。自分が父より上にいけばそう書かれないと思ったので、日本一への思いは常に持っていた」。
甲子園で準優勝の父を超えるには、全国優勝しかない――そんな強い思いを心に秘めていた。
引用元:スポニチ
この苦悩は大学時代には過去のことになり、「父親は超えられない。そういうことが関係ないくらい自分が大きな存在になる」と話していました。
大学時代の怜央選手に、有名な父の存在についてどう思うか聞いたことがある。
比べられることを気にした時期もあったと笑いながらこう話した。「どこの家でも父親は超えたくとも超えられないもの。悔しい面もあったけど、そういうことが関係ないくらい自分が大きな存在になればいい」
引用元:毎日新聞
旗手怜央選手が野球ではなくサッカーを選んだ理由
サッカーの道に進んだ理由は「小学校の友だちの影響」
小学1-2年生までは父親とキャッチボールも楽しんでいましたが、幼稚園から始めていたサッカーに次第にのめり込みます。
小学3年生からクラブ(鈴鹿市立牧田小の少年団)に入り本格的にサッカーの道へ進んだそうです。
父親から野球をすすめることはありませんでした。
それも「自分自身が親から野球、野球と言われたので、子供にそう言うのは嫌だった」から。
父親自身のトロフィーなども自宅に飾らず経歴自慢もしなかったお父さん、かっこいいです。
子供の意思を尊重される素敵なお父さんなんですね。
旗手怜央選手の父親の教育論がすごい
- 子供の意思を尊重し後押しした
- 父親自身の経歴自慢をしない
- 道具を大切にするように、道具は自分のお年玉で買わせた
- フィジカル面でアドバイス
父親の教育は、旗手怜央選手が自ら育つようにフォローしたものでした。
父親から受けたフィジカル面のアドバイスは、今も旗手怜央選手のベースになっています。
「父から『良いプレーが出来なかったとしても、落ち込みすぎると、次のプレー、試合に影響するから切り替えることも大事だぞ』と常に言われてきました。
それは自分でも大切にしている言葉で、悪い時に必要な課題の把握をしながらも、いかに引きずらないで次に繋げていけるか。この意識は本当にベースになっています」
引用元:gooニュース
他にも父親に言われて印象に残っている言葉
『部屋が汚いと怪我をする』
『継続は力なり』は自分のモットーになっているそうです。
旗手怜央選手のフィジカルの強さは父親の言葉で育てられたのですね。
所属する川崎フロンターレの公式サイトにも、「旗手怜央選手のヒーローは父親」と答えていました。
旗手怜央選手は高校・大学はサッカーの名門に進学しています。
プロクラブから声はかからずに大学進学しましたが、大学での指導で成長し、今では日本に欠かせないプレーヤーになっていますね。
どのように成長していったのか?こちらでまとめていますのでご覧ください。
旗手怜央の家族構成と幼少期を調査
4人家族
(父・旗手浩二、母・旗手さゆり、姉)
旗手怜央選手の家はスポーツ一家です。
母親のさゆりさんはバレーボール、乗馬、テニス。お姉さんはテニスをやっていました。
旗手選手の幼少期
旗手選手は外遊びが好きな子で、テレビゲームよりもサッカー、野球、鬼ごっこや自転車を乗り回し、仮面ライダーごっこをしていたそう。
活発な男の子だったんですね。
旗手選手はSBの前はFWですが、野球でも打つ方が楽しかったそうで、「攻撃が好き」な性格は種目が違っても変わらないのですね。
旗手怜央選手も出場する東京オリンピックU-24は7月22日~8月7日まで開催です。
U-24日本代表戦の日程・テレビ放送局はこちらでまとめていますのでご覧ください。
東京五輪サッカー日本戦日程と放送局まとめ(男子・女子)
最後に
『旗手怜央の父親はPLの有名球児で教育論もすごい!家族構成と幼少期を調査』と題してご紹介しました。
旗手怜央の父は元PL学園の球児・旗手浩二
父の教育は、旗手怜央選手が自ら育つようにフォローしたもの
家族構成:父・母・姉
幼少期は野球もサッカーもしていた
最後までお読みいただきありがとうございました。